山崎には、大山崎油座という、鎌倉時代から戦国時代にかけて、山崎地域で荏胡麻(えごま)油を、原料の仕入れから製油・販売までを独占して販売し発展していた座がありました。座の構成員は主に離宮八幡宮の神人であったといいます。石清水八幡宮の神事に携わったことから、当時の幕府や実力者達から保護を受け、崇敬心や神威をかざして巧みにふるまい特権を拡大していました。大山崎を「荏胡麻製油家の元祖」として,諸国の関所や渡し場を自由に通行できるようにし,課益を免除しました。おかげで最盛期には近畿内だけでなく、美濃・尾張まで広げていたそうです。
大山崎油座は、応仁の乱による山崎の荒廃、さらには戦国期の織田信長の楽市・楽座の制により繁栄の終焉を迎えます。やがて菜種油が普及するにいたり崩壊をむかえました。現在の大山崎の地では、離宮八幡宮所蔵の資料や碑によってでしか確認することができません。
さて、ここで出てきた荏胡麻(えごま)油ですが、当時の油は、この荏胡麻(えごま)油が主流でした。油は、主として照明用の灯油として用いられ、灯油の最大の需用は寺社の灯明用でした。江戸時代に菜種油が普及するまでは日本で植物油と言えば、このエゴマ油でありました。材料であるエゴマはシソ科の一年草であり原産地は東南アジアです。種子から絞った油がエゴマ油ですが。中世以降は生産されなくなっていきました。山崎では絞る絵が、いくつか残されています。
しかし、1990年に、人体に不可欠な必須脂肪酸であるα-リノレン酸を豊富に含んでいることから、健康によい成分を持つことが注目され、製品として作られて再び食品市場に現れています。
山崎でもエゴマ油を復活させるプロジェクトが開始されており、今年で4年目に入りました。