離宮八幡宮は、JR山崎駅を降りてそのまままっすぐ、ゆるやかな坂道を降りていき、T字になった突き当たりの右手にあります。徒歩で約1分ほどというみごとな駅前立地です。
この門は東門(大山崎町指定文化財)といい駅からは近いのですが、ここから入らずそのまま西国街道沿いに西に少し歩くと、正面である惣門「高麗門」(こちらも大山崎町指定文化財)が見えてきます。この両門は兵火を免れたそうです。
この門の手前には、「国家安泰、国土平安祈祷所」と書かれた離宮八幡宮の社伝がかかれた説明の板があります。中央にヒビが入り、少々汚れていて読みにくいですが、清和天皇の頃の「荏胡麻」油の由来などが書いてあります。
宵ごとに 都へい出づる 油売り
ふけてのみ見る 山崎の月
という歌が紹介されていたり、離宮八幡宮と山崎の歴史的な意義についても読み取れます。この看板によれば、油といえば山崎産の物を使わなかった人はいなかったとのこと。
いざ、神社内へ
それでは、神社内へはいっていきます。
すぐに一帯「守護不入之所」を示す石標がありますが、目につくのは、この大きな灯篭です。大山崎の文字が書かれています。大灯篭一対といい、元は淀川堤にあったそうです。
続いて、立派な馬の大きな像があります。神馬だそうです。この馬の横にはかしき石(相応寺礎石) (大山崎町指定文化財)がありました。が、写真撮り忘れました(泣
さらに、神社中央の鳥居を抜けると、本殿へ続く階段手前には左右に美術館のように灯篭などが並んでいます。順に紹介していきます。
こちらは、油祖像です。神人(じにん:寺社の雑役、力仕事をする人)の像とのことで、山崎の油売りをイメージしています。
全国油脂販売店標識があります。全国油脂販売業者共通の店頭標識を制定することとなり、具体美術協会会員、島本昭三氏の作品が選ばれ採用されました。
続いて、本邦製油発祥地碑と河陽宮故址碑があります。
平安時代末頃より燈明用の荏胡麻油の生産が始まり鎌倉時代には独占していたそうです。それを記念した碑があります。また、離宮八幡宮は嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」跡地に建てられたとされているので、その河陽宮故址碑がここに立っています。
河陽宮故址碑などが並ぶ反対の西側には、手水所がありここで手を清めます。どことなくお寺という感じですが、ようやく神社という感じがしてきました。本殿へ向かいます。
拝殿から覆屋石清水
階段を上がり中門をぬけると、すぐに拝殿があります。その奥が本殿ですが、自由に入れるのはこの拝殿までです。ここで商売繁盛などのお祈りをします。絵馬などもありましたが数が少なく、それほど参拝客は多くない雰囲気です。
お参りを終えて、奥に進むと本殿左横の旧「石清水井」の覆屋石清水(井戸)があります。
その井戸を覗くと、水がありました。どうやら今も涸れていないようすです。
また、すぐ隣に花崗岩で作られた手水鉢があります。江戸時代始めの寛永11年、当社御造替の際に勝竜寺城主 永井日向守大江直清が幕府の命令で造栄奉行として奉仕し、その記念として奉献したものとのこと。林羅山がこれを漢詩に詠み「一掬洗心(一掬いの水は心を清める)」などと霊徳を称えたとの話が残ります。
また、その隣には、気比宮、武内社、天照皇太神社、蛭子神社、鹿島神社、高天宮神社
など、小さな祠 が祭られており、
その神社に囲まれるようにして、宝塔礎石が地面に残っています。
この礎石は、16個の礎石が4列に並んでいて、その周囲に緑廊の礎石が存しています。寛永11年造替された時、ここに、宝塔のあったことが記されています。もともと離宮八幡宮は現在の3倍ほどの敷地があったそうで、その栄華を思い起こさせます。
礎石にぼんやり座って、紅葉を堪能した後、帰りに、「石清水八幡宮」と刻まれた石燈籠があるのに気がつきました、対岸の男山にあった石清水八幡宮と離宮八幡宮と関係を物語っていました。
離宮八幡宮から見えた空をバシャと1枚。
ほんの30分ほどの滞在でしたが、静かで紅葉がきれいでした。