宝城庵

 

臨済宗 大徳寺派 補陀山と号す。本尊 聖観世音菩薩 創立年月不詳。
往古天台宗応塔寺(小字応堂寺山が現存)の寮舎であったが、天文年間(1532~54)兵火にかかり全焼したとされます。当時の住職宗安僧正の徒弟明宕は、再興の志を継ぎ、禅門に入って修学し、元亀(げんき)2(1571)年、現在地に庵室を立て宝城庵と称し、禅宗に改めました。

 

寛永年間(1624~43)、同8年ともいう。栄窒が庵を再興し、寛文年間(1661~73)大徳寺の大徹明応禅師(玉舟和尚)を迎えて開山とした。以来大徳寺芳春院末寺となる。享保17(1732)年本堂(桁行五問、梁行三闇半)を、延享元年(1744)庫裏(桁行三間半、梁行三問)を、安永4(1775)年に門をそれぞれ再建した。

 

薬師如来立像について


 
「薬師如来立像」は宝城庵薬師堂の本尊です。本町の平安時代の数少ない優作の一つで、薬壷を手と共彫りしており、平安時代後期の薬壷を表す数少ない例として貴重なものです。また、保存状態が良好であることも賞されています。
 

 
薬師堂内の本尊薬師如来は夢のお告げで、淀川河中に沈んでいた山崎橋の柱でつくり、長治二年(1105)にお祀りしたと伝えられます。もともとは八幡神社にあった薬師堂にありましたが、明治の神仏分離令によりこちらに移されました。

 


鐘楼もあります。
  

場所
〒 618-0022
大阪府 三島郡島本町桜井3-11-1
TEL 075-962-4693

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