京都:大山崎地区
妙喜庵(みょうきあん)は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院のことで、 山号は豊興山。妙喜禅庵とも称します。「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説があります。 待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休が作ったと信じうる唯一の現存している茶室です。 | |
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離宮八幡宮は、石清水八幡宮の元社にあたり、八幡大神を祭神とする神社です。離宮八幡宮は油の独占で栄え、油座として離宮八幡宮は幕府・朝廷の保護の下、大山崎油座として油の専売特許を持ち栄えていきます。安土桃山~江戸時代には、「西の日光」と呼ばれるほどの壮大な社殿を構え栄華を極めたそうです。 | |
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観音寺は通称、山崎聖天(やまざきしょうてん)と言う古寺です。山号は妙音山といい、地中から現れた薬師如来の石像に「妙音山寛平法皇剏建地(そうけんち)」と彫ってあったことに由来します。桜と紅葉の名所としても有名で、春と秋のシーズンには多くの行楽客が訪れます。 | |
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宝積寺は寺伝では724年、聖武天皇の勅命を受けたに行基が建てたと伝えられる真言宗の寺院お寺で、行基が山崎橋という対岸八幡への往来の橋を建てた際に、橋寺として創建した「山崎院」の後身と考える説があります。 | |
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大念寺(だいねんじ)は京都府乙訓郡大山崎町にある浄土宗の仏教寺院。山号は見仏山。 大山崎山荘美術館の下、宝積寺のすぐ下にあります。大念寺は、正面に「本堂」左側に「鐘楼」右側に「庫裏」となる小さなお寺です。本尊には「阿弥陀如来立像」(国指定の重要文化財)があり、像の拝観には予約が必要になっています。 | |
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自玉手祭来酒解神社は延喜式内社で山崎地方で最も古い神社です。 「たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ」だと舌をかむので「さかとけさん」で名が通ります。神社の場所は天王山山頂より約百メートルほど下つたところに位置し、本殿の手前に建つ神輿庫は鎌倉時代の建築で日本にある板倉式倉庫としては最古の例であり、国の重要文化財に指定されています。 |
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大阪 島本町水無瀬地区
関大明神社(せきだいみょうじんじゃ)は、JR大山崎駅から徒歩3分程度、三笑亭の前、ちょうど大阪と京都の境にある神社です。大己貴命、天児屋根命または大智明神を祭神とします。本殿は、正面の彫刻、頭貫木鼻の若葉彫刻などから室町時代中ごろに建てられたといわれており、大阪府指定有形文化財に指定されています。 | |
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水無瀬神宮では、後鳥羽天皇(ごとばてんのう)・土御門天皇(つちみかどてんのう)・順徳天皇(じゅんとくてんのう)が祭られています。後鳥羽上皇がこの地に水無瀬殿を造営し、水無瀬離宮と称されていたものを、承久の乱で隠岐に流されそこで崩御した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、1240年(仁治元年)、藤原信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇を祀ったことに始まります。この水無瀬神宮には、大阪で唯一環境庁に「名水百選」に選ばれた「離宮の水」が飲める場所があります。 | |
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サントリー山崎蒸溜所の奥のあたりは、かつて慈悲尾谷と呼ばれていました。ここには僧行基が聖武天皇の帰依仏である十一面観音を本尊にして開創したと伝えられる西観音寺という寺院がありました。明治元年の廃仏毀釈によって西観音寺は廃寺となり、現社地より北東に移動になり、椎尾神社となっています。 | |
>> 椎尾神社(しいおじんじゃ)西観音寺跡 |
若山神社は、地元島本町の広瀬、東大寺、桜井、神内(こうない)の氏神として「天王さん」の通称で広く親しまれている神社です。山神社は素盞鳴命(すさのおのみこと)を祀り、大宝元年(701年)行基が、二十二社の一つとして創建したと伝えられています。秋は紅葉、春は桜の名所として知られています。境内から三川合流点が見え、素晴らしい景色を堪能することができます。 | |
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臨済宗 大徳寺派 補陀山と号す。本尊 聖観世音菩薩 創立年月不詳。往古天台宗応塔寺(小字応堂寺山が現存)の寮舎であったが、天文年間(1532~54)兵火にかかり全焼したとされます。薬師堂内の本尊薬師如来は夢のお告げで、淀川河中に沈んでいた山崎橋の柱でつくり、長治二年(1105)にお祀りしたと伝えられます。 | |
>> 宝城庵 |
矢納神社ともいい、861年(貞観3年)離宮八幡宮の摂社の一つとして祀られたと伝わります。もともとは薬師堂があり、若山神社の御旅所となっていました。明治時代の神仏分離の際に薬師堂にあった薬師如来像はすぐ近くの宝城庵に 移され、薬師堂は明治8年に八幡社、河原八幡宮、坂口八幡社を併せて収めました。 |
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>> 八幡神社 はちまんじんじゃ |
古くは粟辻明神といい、鍛冶屋の祖神として惟喬親王と在原業平を祀っています。天慶(てんぎょう)元年(938)創立され、春日神社と称していたが、惟喬親王が粟辻氏の祖先にあたるので享禄4年(1531)粟辻神社と改称されたとも伝えられています。 | |
>> 粟辻神社(あわつじじんじゃ) |