天王山山頂(270.4m)へと続くハイキングコース(秀吉の道)には、途中堺屋太一氏の監修・解説、岩井弘氏の屏風画による陶板画が設置されています、天下分け目の戦い山崎の戦いが行われたこの地にちなんで、大山崎町では、このハイキングコースを「秀吉の道」と名付けて、この陶板画を制作しました。
陶板画は全部で6枚置かれており、サイズは一番大きいもので高さ1.8メートル、幅5メートルを超える壁がと呼べるサイズのものもあります。原画は日本画家の岩井弘さんが屏風絵として描いたもので、ハイキングコースに沿って、天王山の戦いの様子を時系列に並べており、天王山の麓にあるアサヒビール大山崎山荘美術館付近「本能寺の変」から始まって、宝積寺をかすめ、青木葉谷展望台「秀吉の中国大返し」、旗立松展望台「明智光秀の誤算」「天下分け目の天王山」、酒解神社「明智光秀の最後」を通り、天王山山頂広場「秀吉の覇権」にそれぞれ配置されています。
山中の展望台で風景を楽しみ、神社に参拝しつつ、戦国の世を想いながら登山を楽しむことができます。
1枚目 本能寺の変~「鬼」信長を討った「人」光秀~
アサヒビール山崎山荘美術館に向かう、琅玕洞 (トンネル)の手前にあります。
絵図は本能寺の変発生時、当時の日本の勢力図が描かれています。天下統一を目指し、合理性に徹した改革を進める「鬼」織田信長を、古い伝統や人脈を尊ぶ「人」明智光秀にはどう映ったのでしょうか?
場所:アサヒビール山崎山荘美術館 琅玕洞 (トンネル)の手前
※秀吉の警告もあり、ゴミを捨てるなとのお達しがあります、きっちり守りましょう。
2枚目 秀吉の中国大返し~勝負を決めた判断と行動~
ハイキングコース最初の展望台「青木葉谷展望台」にあります。
明智光秀は、信長の有力な部下が、強力な敵と相対していた。特に羽柴 (豊臣) 秀吉は、はるか西の備中 (岡山県) にいました。この陶板絵図では秀吉が毛利と和睦を結び、摂津の尼崎に、わずか1週間足らずで到着した様子が描かれています。
場所:青木葉谷展望台
3枚目 頼みの諸将来たらず~明智光秀の誤算~
旗立松展望台付近です。
織田信長を討ち取った明智光秀は、家来が協力な敵と対峙しているため、すぐには体制が取れないと考えていました。その隙に畿内を制圧し信長亡き後をリードするつもりでした。しかし秀吉の中国大返しの報を聞き、計算が狂います。さらに「主君の仇討ち」という名目で秀吉方に多くの将兵があつまることになりました。光秀は1万6千の直属軍を率いて秀吉軍を迎え撃つことになってしまいます。絵画は天王山の合戦直前の様子を描いています。
4枚目 天下分け目の天王山~勝負は川沿いで決まった~
3枚目の「頼みの諸将来たらず」すぐ隣に配置されています。両並びの板画は圧巻です。
天王山の戦いは山の中ではなく、その麓でおこなわれました。兵力で劣る天王山の東側に展開した明智勢は、天王山と淀川の間の狭い道を出て来る羽柴方を各個撃破する作戦です。絵は合戦がはじまって半刻(約1時間)ほど経った頃。この絵図はその直後の戦場を、北から南向きに描いています。淀川沿いで不利に陥いる光秀と勝利を確信した秀吉の表情にも明暗がくっきりと出ています。
この場所は「旗立松展望台」だけでなく、すぐ近くに「山崎合戦の碑」「酒解神社の門」があり、ここで記念撮影をしたり一休みする登山客でにぎわっています。
場所:旗立松展望台
5枚目 明智光秀の最後~古い常識人の敗北~
自玉手祭来酒解神社近くにあります。
天下分け目の合戦は、約三時間)ほどで終わり、明智勢は総崩れとなり、総大将の明智光秀は勝龍寺城に逃げ込みます。しかし勝龍寺城は小さな平城で、到底秀吉軍を抑えることができません。光秀は夜が更けるのを待って少数の近臣と共に勝龍寺城を脱け出し、自らの根拠地である近江坂本城を目指します。しかし、山科小栗栖にさしかかった時、竹薮から突き出された竹槍に刺されて重傷を負い、その場で自刃して果てました。絵図はその落ち延びている光秀が描かれています。天王山には竹林が多数あり、このような場所を逃げ延びていったのだろうとなと想像できます。解説では光秀が、信長の改革の過激さに反発を感じ出した。古い常識にこだわる知識人の弱さゆえに負けたとしています。
場所:自玉手祭来酒解神社近く
6枚目 秀吉の「天下人への道」はここからはじまった
天王山山頂にあります。最後の1枚は絵柄は秀吉と、茶の大家の千利休が描かれています。
秀吉は、残る敵柴田勝家らと戦い勝利した秀吉は、天下統一の象徴として大坂の地に巨城を築きます。秀吉の天下人の道は、この山崎の合戦で光秀を破ったことで次の天下人となります。解説は秀吉のきらびやかな天下。-それはこの天王山の東側で行われた合戦からはじまったのである。と締めくくります。
場所:天王山山頂・山崎城跡
京都府大崎町発行の観光パンフレット(PDF)があります。
返信メールありがとうございます。掲載サイトにある希望の画像は、秀吉の大返し陶板画の画像です。よろしくお願いいたします。
おはようございます。メールありがとうございます。またメール返信が遅れてすみません。個人使用ではなく、商用使用の場合も可能でしょうか?例えば、本の出版の中での使用とか。
こんにちは、野田様
管理人です。
写真の商用利用の場合は引用や映り込みを逸脱してしまい製作者や著作者の許可が必要になると思います。
製作者は堺屋太一さん監修・解説で絵は岩井弘さんと聞いています。
連絡先につきましては存じていないため、陶板画を企画した大山崎町役場などに聞いていただけますでしょうか。恐れ入りますが、よろしくお願い致します。