麓から歩くこと、1時間程度、270.4メートルの標高の高さにある天王山山頂に到着します。
山頂は大きく広場のようになっており、土肌がみえています。広場横に少し小さな丘のように盛り上がった場所があり、そこに集めてきたと思わしき小石がうず高く積 まれ、横に「七月二十二日」と判読出来る古い石塔があり、小石の山の中央の木柱に「天王山山頂 標高 270.4メートル」と記されています。
広場では、270.4mという低い山でありながら、所々急な登山道を乗り越えてきたハイカー達がたくさん休憩しています、ここの広場はどうやらお弁当スポットのようでゴザを広げたり、親子連れで寝そべっている姿も見受けられます。
残念ながら、山頂の見晴らしは広場を囲うように生い茂る樹木のせいで、よくありません。少し下の展望台の方が眺めがよいです。風景は期待しないほうがよいでしょう。
この山頂の見所は、ここにかつて城が築かれており、その痕跡を発見できるところにあります。広場には山の上には似つかわしくない石が散見され、五輪の塔、石仏、墓石、井戸の跡などが見つかります。ちなみに、ここにある石は移動させてはいけないそうです。
城や砦は歴史上何度か築かれました。山崎は交通の要所であり、それはイコール軍事上の要所でもあります。記録に残るものでは、南北朝時代のころから砦があったそうです。現在残っているものは、羽柴(豊臣)秀吉が築城したもので、山麓にある宝積寺も含めて城郭として利用したと考えられています。
山崎(天王山)の戦い後に築城、信長の後継者としての地位の確立と、残る敵柴田勝家との戦いに備えるためでした。勝家との戦いに勝利し、大阪城に移るまで秀吉はここに1年ほど滞在することになります。天正十二年(1584)には不要となった城は取り壊されました。
山頂には、最後の「陶板絵図」である秀吉の「天下人への道」はここからはじまった。があります。