東黒門跡

昔の大山崎集落は、離宮八幡宮の神領であり、15世紀にその集落の東と西の端にそれぞれ黒門が設けられ、それぞれ東の黒門・上の黒門と、西の黒門・下の黒門と言ったそうです。

 

門は夜になると用心のため集落を守るために閉めていました。東黒門はちょうど、五位川が西国街道と交わるところにあり、現在も名残として東黒門跡があります。

 

また魔よけの石とされる石敢当(いしがんとう、せっかんとう、せきがんとう)があります。この石敢当は、高槻屋さん(東の黒門の南東の角の家)の子供が夭逝するので、子供の無事を祈って、贔屓の力士、太孝山が建てたと伝えられています。

 
石敢当

 
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石敢当は沖縄、南九州あるいは中国南部に広く分布していますが。沖縄には700個ほどありますが、京都府には三つしかありません。悪鬼、邪気は曲がり角を曲がれず石敢当に当たって死ぬといわれています。

 

東黒門跡は西国街道沿いです。この跡の場所は道路が今も、屈曲しておりドライバー泣かせです。
(拡張工事予定があるそうです)大山崎の東黒門の出口で、光秀軍は大山崎の東黒門の出口の先で秀吉軍を待ち受け山崎合戦が始まったとの記録があります。

 
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一方、西黒門ですが、ちょうど、島本町にあるうどん屋「かぎ卯」付近にありました。「かぎ卯」前の入江亭は昔は宿屋でしたが、昭和になってからも「黒門の木屋」とよばれていました。※現在は文具屋を経て廃業。西黒門の跡は、大正時代まで残礎があったらしですが、残念ながら残っていません。
 

戦国時代の「大閣記」に、山崎の戦いの際、秀吉側の武将、高山右近が西門を閉めた記述が残っています。

 
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西門があったとされる付近、島本町
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〇アクセス:

東黒門 JR山崎駅徒歩約15分、阪急大山崎駅徒歩約12分
西黒門 JR山崎駅徒歩約5分、阪急大山崎駅徒歩約8分


東黒門跡(石敢當)と西黒門跡 への5件のコメント

  1. yamazakabc より:

    この門を復活したら、いいなあ。と、思っていました^_^
    せめて、西の門跡にも、観光案内板が欲しいですよね。
    島本町は、山崎への愛着が弱いような気がします
    大山崎の名所旧跡と考えている節がある?
    だから、やっぱり、神領をもう一度復活してして、独立するのがいいと思います!

    この区間で町興しが出来たら面白いですよね^_^

  2. yamazakabc より:

    訂正!町残し!

    でしたね^_^

  3. yamazakilove より:

    門復活したら面白ですね。東門の場所は通行上危ないので、まっすぐにする、道路工事の予定があるらしいのですが、道がまっすぐになると面白みがなくなるのでちょっと残念です。西門は昔は碑があったと聞きましたが、今は何にもないですね。観光版は両町で同じデザインで作成したら良いのにと思います。

    最近、大山崎町や島本町のいろんな方に会う機会が増えて、結構似たような事(互いの町の交流が少ないとか)を考えてるんだなと思いました。さらに交流が増えて、独立だ!!とまではいかなくても色々できるんじゃないかなと思っています。

  4. もも より:

    当家の姓の由来について調べてちょっと調べてみたくなり、貴ページを拝見しました。
    当家もかつては宿屋を営んでおり、かつては「門」の「鍵」を預かっていたため 鍵の付く名前を姓になったと父から聞いておりました。それがこの西の黒門だったのですね!!

    • yamazakilove より:

      もも様

      コメントありがとうございます。
      そうなんですね、歴史を感じます。とても興味深いです。
      西門があったとされる付近は、何もないですが通勤で毎日通ってるので気持ち的には門をくぐるイメージで歩いています。

      そういえば先日、町の歴史資料館で大山崎町の明治~大正ぐらいの駅前の地図を見る機会があって、そこに今も住んでおられる方の姓が掲載されていて、ほーとなりました。

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