山崎津跡とは、平安京の外港として文献にみえる「山崎津」の推定地で、古代から近世にかけて、この地に淀川水運の要である山崎津(港)があり、それに関わる遺跡のことを言います。
平安時代より「淀」と「山崎」は、南方・西方へ通じる最も重要な地点であり、都への様々な物資が運ばれていました。この地が重要視された理由は、そこが、陸路と水路(淀川)の中継点という重要な機能を担っていたからであり、平安時代は、淀川の水運が頻繁に利用され、淀・山崎は主要な「津(川の港)」として利用されていました。淀川は、瀬戸内海へ通じる航路の大動脈であり、「淀・山崎」は平安京と海とをつなぐ出入り口でもあったそうです。
発掘調査
山崎津跡の発掘調査は、桂川、宇治川、木津川の3河川が合流する北岸に計画された緊急用河川敷道路建設の際に調査が行われ、舟泊まりと推定される溝状遺構などが部分的に検出されています。
出土遺物には土師器、須恵器、緑釉陶器のほか、「大」と墨書された白磁底部や「由□」と線刻
された文字瓦などが出土している。これらの遺物はほとんど摩滅していないことから、隣接地に
港(津)に関わる施設、あるいは集落等があった可能性が高く、この周辺が古代から中世における
「山崎津」の一角を占める地点であると推定される。
※山崎津跡第17次発掘調査報告より
大山崎駅から山崎町へ西国街道沿いに歩き、マンションの入り口に看板が立てられています。1988年にマンション建設に先立つ発掘調査で船溜まりなどの遺構が出てきたため、ここに案内版が立てられました。津の解説や発掘調査の様子を読むことができます。道からマンションへの横道に入った所にあるのでお見逃し無く。
いいね!知らなかった。
今度、案内板みに行きます(^O^)
yamazakabcさん
管理人のYLです。
僕もしらなくて、見に行くと何でこんなところに?という場所でした。解説読んで納得です。