JR山崎駅から天王山へ至る、踏み切りを渡りきると、ちょうど天王山登山口にこの霊泉連歌講跡碑と山崎宗鑑句碑が立っています。

山崎宗鑑

山崎宗鑑は、室町幕府9代将軍足利義尚に仕える武士でしたが、義尚の陣没(延徳元年、1489年)後に出家して宗鑑と名乗り、この大山崎に隠棲しました。大山崎油神人の繁栄や、惣中や待衆の支えによって連歌講の中心人物になり、宗鑑はこの付近にあったとされる冷(霊)泉庵で連歌の会を開いたり、俳句の指導をしていたとされています。また書にも優れ宗鑑流として多くの人々に愛されました。晩年は『新撰犬筑波集』などを発表し、俳諧の創始者として知られています。

宗鑑の自宅は大阪と京都の境目の関大明神の向かいにあったとされ、その場所の旧家森村家には「宗鑑井戸跡」「宗鑑旧居跡」が残されています。ここは古くから「宗鑑屋敷」と呼ばれ 宗鑑の旧居跡です。建物は後世のものですが、邸内には「宗鑑井」と称される井戸があるそうです。

山崎宗鑑句碑

霊泉連歌講跡碑の横にある山崎宗鑑句碑の句には

〈うずききてねぶとに鳴や郭公〉と句が彫ってあります。

これは、「卯月が来て声太く鳴いているのはホトトギス」という意味と
「根太(=デキモノ)が疼いてきて泣いているホトトギス」という裏の意味をこめた俳諧で、
交流のあった伊勢神宮祠官・連歌師の荒木田守武が根太にかかっていたのを揶揄したものと言われています。

没後は、宗鑑を偲んで山崎を訪れる人が多く、
松尾芭蕉も西遊の途中で立ち寄り句を詠みました。
禁門の変の焼け残りの門(旧家石上の表門)が残っておりそこに芭蕉の句碑があります

ありがたき すがたおがまむ 杜若(かきつばた)
と宗鑑の事を、俳句に詠んでいます。

所在地 〒618-0071  京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1
分類 観光スポット
アクセス JR京都線「山崎駅」下車徒歩5分/阪急京都線「大山崎駅」下車徒歩8分
地図
より大きな地図で 大山崎観光マップ 霊泉連歌講跡碑 を表示
備考 ※宗鑑屋敷は関大明神前、芭蕉の碑はその西国街道沿いにあります

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