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	<title>山崎観光案内所　 &#187; 秀吉</title>
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	<description>自然とウィスキーと歴史の街、京都大山崎、島本水無瀬地区の私的観光案内サイトです。観光情報・名所・スポットをご紹介します。</description>
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		<title>「戦国無双4」×「いざ天王山」コラボ　戦国武将のパネルが登場　3月1日(火)から3月31日(木)まで</title>
		<link>https://oyamazaki.info/archives/6870</link>
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		<pubDate>Thu, 17 Mar 2016 02:39:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[yamazakilove]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース・イベント]]></category>
		<category><![CDATA[明智光秀]]></category>
		<category><![CDATA[秀吉]]></category>

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		<description><![CDATA[大山崎町ふるさとセンターロビーにて、人気ゲーム「戦国無双4」と大山崎町のロゴマーク「いざ天王山」のコラボ企画を実施中です。イケメンの明智光秀と豊臣秀吉のパネルを設置しています。2016年3月末日まで。 &#160; &#038;n &#8230; <a href="https://oyamazaki.info/archives/6870">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>大山崎町ふるさとセンターロビーにて、人気ゲーム「戦国無双4」と大山崎町のロゴマーク「いざ天王山」のコラボ企画を実施中です。イケメンの明智光秀と豊臣秀吉のパネルを設置しています。2016年3月末日まで。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2016/03/posterA4-2_fin_RGB.jpg"><img class="aligncenter size-large wp-image-6880" src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2016/03/posterA4-2_fin_RGB-724x1024.jpg" alt="B2_poster_0229" width="640" height="905" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2016/03/DSC3110.jpg"><img class="aligncenter size-large wp-image-6879" src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2016/03/DSC3110-1024x680.jpg" alt="_DSC3110" width="640" height="425" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今回の展示は、明智光秀、ガラシャ、幽斎、忠興を中心としたNHK大河ドラマを誘致推進する一環によるもので、山崎の地で争われた、天王山（山崎）の戦いと呼ばれている覇権を争った羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀が登場しています。<br />
&nbsp;<br />
<a href="https://www.gamecity.ne.jp/sengoku/index.html">戦国無双</a><br />
<a href="https://oyamazaki.info/archives/1430">天王山の戦い</a><br />
<a href="http://www.taiga-dorama.com/">ＮＨＫ大河ドラマ誘致推進協議会</a><br />
&nbsp;<br />
また、大山崎町ロゴマーク「いざ天王山」の顔出しパネルも設置しているとのことです。<br />
&nbsp;</p>
<p>場所：<a href="https://oyamazaki.info/archives/660">大山崎ふるさとセンター</a><br />
京都府乙訓郡大山崎町大山崎竜光３番地<br />
阪急大山崎駅から徒歩約1分です。ＪＲ山崎駅から徒歩6分<br />
問い合わせ先：大山崎町 政策総務課　企画観光係<br />
電話: 075-956-2101</p>
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		<item>
		<title>豊臣（羽柴）秀吉</title>
		<link>https://oyamazaki.info/archives/1891</link>
		<comments>https://oyamazaki.info/archives/1891#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 08 Nov 2012 01:12:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[yamazakilove]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[人物]]></category>
		<category><![CDATA[秀吉]]></category>

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		<description><![CDATA[戦国の世を事実上統一した人物、豊臣（羽柴）秀吉。三英傑の一人。 豊臣秀吉は、織田信長に仕官し活躍、信長の死後は跡をついて日本を統一して、関白となり朝鮮、明にまで領地を広げようとしました。下層民の家の出から下克上の世の中で &#8230; <a href="https://oyamazaki.info/archives/1891">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/11/Toyotomi_hideyoshi.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/11/Toyotomi_hideyoshi-212x300.jpg" alt="" title="Toyotomi_hideyoshi" width="212" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-1983" /></a></p>
<p>戦国の世を事実上統一した人物、豊臣（羽柴）秀吉。三英傑の一人。<br />
豊臣秀吉は、織田信長に仕官し活躍、信長の死後は跡をついて日本を統一して、関白となり朝鮮、明にまで領地を広げようとしました。下層民の家の出から下克上の世の中で、一夜城や金ヶ崎の退き口など、数々の逸話を残し戦国一の出世頭と呼べる人物です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>秀吉とここ山崎との一番の関連は、山崎の戦い（天王山の戦い）が起こったことにあります。山崎の戦いは、天正10年（1582年）6月2日、明智光秀によって起こった信長に対する謀反（本能寺の変）にはじまり、秀吉の驚異的な行軍（中国大返し）があった後で、直接の武力対決が最終的に起こります。6月13日にここ山崎で明智軍と秀吉軍の両軍が激突する結果となりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>戦略上の優勢により、軍勢の数の上で勝る秀吉軍（明智軍の3倍、4倍だったと言われています）が、明智軍を、数時間で打ち破り、信長の後継者として位置づけられることが決定的になった戦いでした。敗れた明智光秀は落ち武者狩りにあい、竹林で命を落としたとされています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さらに、秀吉は大阪城が完成する天正11年（1583年）まで、1年ほどこの山崎に留まっています。天王山の山頂に山崎城を築城（もともとあった砦を再構築した説あり）して本拠とし、信長の重臣だった柴田勝家や残る敵と戦いながら、城下に千利休などの茶人を呼んで茶会をしていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>山崎には、この地に滞在した秀吉ゆかりの場所や観光スポットがいくつか残っています。<br />
&nbsp;<br />
・<a href="https://oyamazaki.info/archives/722">秀吉の道</a><br />
・<a href="https://oyamazaki.info/archives/1239">旗立松展望台</a><br />
・<a href="https://oyamazaki.info/archives/1342">天王山山頂（山崎城跡）</a><br />
・<a href="https://oyamazaki.info/archives/761">妙喜庵</a><br />
&nbsp;</p>
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		</item>
		<item>
		<title>天王山の戦い（山崎の戦い）　その3 合戦</title>
		<link>https://oyamazaki.info/archives/1509</link>
		<comments>https://oyamazaki.info/archives/1509#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 25 Oct 2012 02:12:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[yamazakilove]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[天王山]]></category>
		<category><![CDATA[山崎の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[秀吉]]></category>

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		<description><![CDATA[布陣 明智軍、秀吉軍は6月12日頃から円明寺川（現・小泉川）を挟んで対陣します。明智軍の軍師・斉藤利三は、頼みの細川藤孝・細川忠興親子もおらず、筒井順慶も参戦せず圧倒的な兵力差の前に、ここは一時京をすて、阪本、亀山城に戻 &#8230; <a href="https://oyamazaki.info/archives/1509">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<h4>布陣</h4>
<p>明智軍、秀吉軍は6月12日頃から円明寺川（現・小泉川）を挟んで対陣します。明智軍の軍師・斉藤利三は、頼みの細川藤孝・細川忠興親子もおらず、筒井順慶も参戦せず圧倒的な兵力差の前に、ここは一時京をすて、阪本、亀山城に戻り戦うべきだと主張しますが、光秀は聞き入れません。光秀軍は、淀川と天王山にはさまれた山崎の狭い道を、秀吉軍が縦長の陣形で進軍してくるところを順次撃破していくという作戦をとります。勝竜寺城を前線として淀城を左翼、円明寺川に沿った線を右翼として兵を配置します。中央には斎藤利三や阿閉貞征らの近江衆を配し、かれらを先鋒隊とした布陣です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>布陣概要図<br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/yamazaki_hujinzu.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/yamazaki_hujinzu.jpg" alt="" title="yamazaki_hujinzu" width="500" height="425" class="aligncenter size-full wp-image-2020" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方の、秀吉軍は、左翼（山手側）を羽柴秀長、黒田官兵衛(黒田孝高)らに、中央（中手筋道側）を高山右近、中川清秀、堀秀政らに、右翼（川手側）に池田恒興、池田元助、加藤光泰らの三軍に分けて進撃していました。12日の前夜には、山崎の集落を占拠し最前線に着陣、また山手側の黒田官兵衛、羽柴秀長、神子田正治らが天王山山裾の旧西国街道に沿って布陣し、秀吉の本陣は天王山中の宝積寺に置きます。<br />
&nbsp;<br />
これに対し、光秀軍は予定通り光秀の本陣の前面に斎藤利三、阿閉貞征（貞秀）、河内衆を配置、当時の山崎にあった、沼のせいで、大軍が通過できるのは天王山と沼の間の狭い空間に限らており、ちょうど、出口にフタをするような布陣です。進撃してくる秀吉軍をその場所で、各個撃破する算段でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>合戦の開始</h4>
<p>戦端が切られたのは6月13日の午後四時過ぎ天王山側でした。高山隊の横に陣取ろうと移動していた中川隊に光秀軍の伊勢貞興隊が襲い掛かります。それに呼応するように、斎藤利三が高山隊を攻撃、戦端が開かれます。戦さ上手で知られた斉藤利三の猛攻の前に、高山隊と中川隊はたちまち窮地に陥りますが、秀吉本体からの増援を得て、何とか持ちこたえます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さらに、天王山麓に布陣していた羽柴秀長、黒田官兵衛らの部隊も、天王山中腹を進撃してきた松田政近・並河易家両隊と交戦状態に入ります。そのまま1時間ほど、一進一退の攻防を続けますが、右翼（川手側）に配置されていた、池田恒興、池田元助、加藤光泰らが密かに円明寺川を渡河し、津田信春を奇襲します。それが光秀本隊の側面を突くような格好になり戦局が一変します。<br />
&nbsp;<br />
苦戦していた高山隊と中川隊もこの報を聞き、息を吹き返し、斎藤・伊勢両隊を押し返しはじめ、明智軍は全軍総崩れとなります。そして、ついに主力の斎藤利三隊が壊走し、松田政近や伊勢貞興らが乱戦の中で討死するなど甚大な打撃を受けます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>御牧兼顕隊の奮戦により、なんとか光秀は戦線後方の勝竜寺城に退却します。短時間の戦いにもかかわらず、死傷者が万を越える被害を受け、兵の脱走・離散が相次ぎ、その数は700余にまで減っていました。平城である勝竜寺城では秀吉軍の追撃を防げないため、居城である坂本城を目指し、落ち延びるものの小栗栖の藪（現明智藪）で落ち武者狩りに遭い、絶命したとされています。<br />
&nbsp;<br />
秀吉軍の予想を上回る進軍速度によって、明智軍は十分な準備ができず、倍以上の兵力差を強いられ、山崎の隘路から出てくる軍を撃破するという止むを得ない形の戦いでは、戦略段階で勝負が決まってしまっているようなものでした。こうして、本能寺の変から始まった。明智光秀の12日間の「天下」は幕をおろしました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>天王山の戦いにまつわる観光名所</h4>
<p>天王山山中には、ハイキングコースに沿って、天王山の戦いの様子を時系列に並べた<a href="https://oyamazaki.info/archives/722">秀吉の道「陶板絵図」</a>があります。さらに、秀吉軍が自軍の指揮を高めるため、老松の樹上高くに旗印を掲げたとされる<a href="https://oyamazaki.info/archives/1239">旗立松</a>（今は６代目の松）があります。またその隣には戦場を俯瞰で眺めることのできる展望台があり、近くには、山崎合戦之地石碑が建てられています。大山崎町には秀吉が本陣としたとされる<a href="https://oyamazaki.info/archives/1407" title="宝積寺(宝寺)">宝寺</a>や<a href="https://oyamazaki.info/archives/4122" title="「境野一号墳」と「光秀本陣跡」">明智光秀本陣跡</a>があります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<table>
<tr>
<td>天王山の戦い（山崎の戦い）</td>
<td>
<a href="https://oyamazaki.info/archives/1430">>>その1 本能寺の変</a><br />
<a href="https://oyamazaki.info/archives/1495">>>その2 秀吉の中国大返し</a><br />
<a href="https://oyamazaki.info/archives/1509">>>その3 山崎の戦い</a>
</td>
</tr>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>天王山の戦い（山崎の戦い）　その2 秀吉の中国大返し</title>
		<link>https://oyamazaki.info/archives/1495</link>
		<comments>https://oyamazaki.info/archives/1495#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 24 Oct 2012 06:43:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[yamazakilove]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[天王山]]></category>
		<category><![CDATA[山崎の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[秀吉]]></category>

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		<description><![CDATA[本能寺の変直後 光秀の動き 天正10年6月2日の織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた報は、各地に届けられました。明智光秀は、変後、すぐ京で信長残党の捜索追捕と治安維持に当たっていましたが、2日の夕刻には、光秀軍は坂本城に &#8230; <a href="https://oyamazaki.info/archives/1495">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<h4>本能寺の変直後 光秀の動き</h4>
<p>天正10年6月2日の織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた報は、各地に届けられました。明智光秀は、変後、すぐ京で信長残党の捜索追捕と治安維持に当たっていましたが、2日の夕刻には、光秀軍は坂本城に帰り、諸方に協力要請の書状を送ります。<br />
&nbsp;<br />
さらに、光秀は3日・4日も坂本城にいて、近江や美濃の国衆の誘降についやします。3日には武田元明・京極高次らを近江に派兵して、4日のうちには近江の大半を制圧することに成功しました。<br />
&nbsp;<br />
変当初、光秀の思惑通りに、有力な信長の家来達はすぐに身動きが取れない状態のままでした。柴田勝家は北陸で上杉景勝と対峙し魚津城攻略中であり、滝川一益は関東に。丹羽長秀は四国出陣の準備で畿内にいましたが、手勢が３０００程と兵力が不足していました。信長の同盟者の徳川家康も堺で、堺代官松井友閑や豪商たちの饗応を受け戦いどころではありませんでした。そして秀吉も中国地方で毛利と対峙していました。光秀は、5日には信長の本拠地安土城を攻略し、京以東の地盤固めを急ぎ、さらに畿内を掌握するつもりでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、光秀の誘いに縁戚であった細川藤孝・忠興父が喪に服すといって、遠まわしに断りをいれるなど、光秀の頼みの諸将が誘いに応じません。さらに信長家臣で最大の実力を持っていた柴田勝家に備えるため京東を重視したことが裏目にでます。秀吉のまさかの神速の撤兵への対処が遅れることになるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>秀吉の中国大返し</h4>
<p>秀吉の中国大返し　移動図&nbsp;<br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/okaeshi01.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/okaeshi01.jpg" alt="" title="okaeshi01" width="590" height="353" class="aligncenter size-full wp-image-2033" /></a><br />
&nbsp;</p>
<p>秀吉が、信長の悲報を知ったのは、6月3日夜から4日未明にかけてのことであるとされています。光秀が毛利氏にむけて送った密使を捕縛したためでした。報を知った秀吉は、情報が漏洩しないよう毛利側への路を遮断します。緘口令をしいて毛利側に信長の死を秘したまま、講和をもちかけます。信長の死を知らない毛利側は、戦局が不利であったことや、増援の明智・信長軍が到着するのを恐れていたため、講和に応じました。実際に毛利側が信長の死を知ったのが、4日夕刻のことで僅かの差で講和が成立してしまいます。吉川元春などが秀吉軍追撃を主張しましたが、領国防衛を第一としていたため追撃に移れませんでした。こうして、毛利軍と通じ秀吉軍を東西から挟み撃ちにする思惑は外れます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この時の、秀吉の撤退の速度は、光秀の予想を大きく上回っていました。世に言う「中国大返し」です。秀吉は、6月6日未刻には備中高松城の陣を引き払って撤退を開始します。６月７日には約70キロメートルの距離のある姫路城まで到達、6月9日朝までそこに滞留し、城内にある全ての金銀を武将に、全部の米を足軽に配布し、目的は光秀討伐以外ないことを鮮明にし、光秀軍の動向を探ります。この退却はとにかく姫路城に到着しさえすれば良いというものであった苛烈なものだったといいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>姫路城を出発したのは、９日。秀吉は子飼いの浅野長政を後に残し、明石を経て、夜半には兵庫港（神戸市兵庫区）近くに野営します。また、明石海峡より別働体を淡路島東岸に進軍させ、洲本城（兵庫県洲本市）を陥落させます。<br />
&nbsp;<br />
翌、１０日秀吉軍は体制を整え、行軍しながら10日朝に明石を出発し、同日の夜には兵庫まで進みます。10日夜は兵庫で充分に休息し、翌6月11日朝に出発。摂津尼崎へ到着したのは同１１日夕刻でした。総距離235Kmをわずか６日で行軍した計算になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>撤退出発前に、秀吉は、光秀に近い中川清秀に信長は生きているという書状を送り、光秀側に清秀が参入するのを阻止します。そして、弔い合戦を大義名分にする秀吉軍に、摂津衆の多くが味方することになり、池田恒興、中川清秀、高山重友（右近）ら摂津の諸将が相次いで秀吉陣営にはせ参じることになりました。<br />
&nbsp;<br />
さらに、織田氏の一族である神戸信孝（織田信孝）・丹羽長秀などが、数千の兵をまとめて合流し、最終的に秀吉軍は2万を超える大軍に膨れ上がります。秀吉軍は12日に富田で軍議を開き、秀吉は総大将に長秀、次いで信孝を推しますが、逆に両者から望まれて自身が事実上の盟主となり、山崎を主戦場と想定した作戦部署を設定します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>誤算の中の布陣</h4>
<p>一方の光秀は、９日までに近江方面の攻略を終え、有力組下大名に引き続き加勢を呼びかけますが、拒まれます。加勢を諦めた光秀は10日に秀吉接近の報を受け、急いで天王山の北に位置する淀城（京都市伏見区）を修築し、１１日には、男山に布陣していた兵を撤収させ布陣。秀吉軍に対抗します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>6月12日、秀吉軍は尼崎から西国街道をそのまま進み富田に着陣、そして、ついに両軍は12日頃から山崎の円明寺川（現・小泉川）を挟んで対陣することになります。『太閤記』によれば、秀吉軍計4万人（※『兼見卿記』では2万余）だったといいます。秀吉の進軍に体勢を十分に整えられず、終結した光秀軍は1万６千人だったと伝えられます。</p>
<table>
<tr>
<td>天王山の戦い（山崎の戦い）</td>
<td>
<a href="https://oyamazaki.info/archives/1430">>>その1 本能寺の変</a><br />
<a href="https://oyamazaki.info/archives/1495">>>その2 秀吉の中国大返し</a><br />
<a href="https://oyamazaki.info/archives/1509">>>その3 山崎の戦い</a>
</td>
</tr>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>天王山山頂・山崎城跡</title>
		<link>https://oyamazaki.info/archives/1342</link>
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		<pubDate>Fri, 19 Oct 2012 01:02:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[yamazakilove]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ハイキング]]></category>
		<category><![CDATA[天王山エリア]]></category>
		<category><![CDATA[天王山]]></category>
		<category><![CDATA[秀吉]]></category>

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		<description><![CDATA[麓から歩くこと、１時間程度、270.4メートルの標高の高さにある天王山山頂に到着します。 山頂は大きく広場のようになっており、土肌がみえています。広場横に少し小さな丘のように盛り上がった場所があり、そこに集めてきたと思わ &#8230; <a href="https://oyamazaki.info/archives/1342">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/tennouzan.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-1254" title="tennouzan" src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/tennouzan.jpg" alt="" width="550" height="413" /></a></p>
<p>麓から歩くこと、１時間程度、270.4メートルの標高の高さにある天王山山頂に到着します。<br />
山頂は大きく広場のようになっており、土肌がみえています。広場横に少し小さな丘のように盛り上がった場所があり、そこに集めてきたと思わしき小石がうず高く積 まれ、横に「七月二十二日」と判読出来る古い石塔があり、小石の山の中央の木柱に「天王山山頂　標高 270.4メートル」と記されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>広場では、270.4ｍという低い山でありながら、所々急な登山道を乗り越えてきたハイカー達がたくさん休憩しています、ここの広場はどうやらお弁当スポットのようでゴザを広げたり、親子連れで寝そべっている姿も見受けられます。</p>
<p><a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/tennouzan_04.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/tennouzan_04.jpg" alt="" title="tennouzan_04" width="550" height="413" class="aligncenter size-full wp-image-1390" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>残念ながら、山頂の見晴らしは広場を囲うように生い茂る樹木のせいで、よくありません。少し下の展望台の方が眺めがよいです。風景は期待しないほうがよいでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この山頂の見所は、ここにかつて城が築かれており、その痕跡を発見できるところにあります。広場には山の上には似つかわしくない石が散見され、五輪の塔、石仏、墓石、井戸の跡などが見つかります。ちなみに、ここにある石は移動させてはいけないそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>城や砦は歴史上何度か築かれました。山崎は交通の要所であり、それはイコール軍事上の要所でもあります。記録に残るものでは、南北朝時代のころから砦があったそうです。現在残っているものは、羽柴（豊臣）秀吉が築城したもので、山麓にある宝積寺も含めて城郭として利用したと考えられています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>山崎（天王山）の戦い後に築城、信長の後継者としての地位の確立と、残る敵柴田勝家との戦いに備えるためでした。勝家との戦いに勝利し、大阪城に移るまで秀吉はここに１年ほど滞在することになります。天正十二年（1584）には不要となった城は取り壊されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>山頂には、最後の「陶板絵図」である秀吉の「天下人への道」はここからはじまった。があります。</p>
<p><a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/hideyoshi_06.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-1214" title="hideyoshi_06" src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2012/10/hideyoshi_06.jpg" alt="" width="550" height="413" /></a></p>
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		<title>宝積寺(宝寺)</title>
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		<pubDate>Mon, 07 Jan 2013 05:26:17 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[お寺・神社]]></category>
		<category><![CDATA[駅前・山麓エリア]]></category>
		<category><![CDATA[お寺]]></category>
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		<category><![CDATA[山崎の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[秀吉]]></category>
		<category><![CDATA[行基]]></category>

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		<description><![CDATA[宝積寺は寺伝では724年、聖武天皇の勅命を受けたに行基が建てたと伝えられる真言宗の寺院お寺で、行基が山崎橋という対岸八幡への往来の橋を建てた際に、橋寺として創建した「山崎院」の後身と考える説があります。 &#160; 歴 &#8230; <a href="https://oyamazaki.info/archives/1407">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG7033.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-2187" title="CIMG7033" src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG7033.jpg" alt="" width="550" height="413" /></a></p>
<p>宝積寺は寺伝では724年、聖武天皇の勅命を受けたに行基が建てたと伝えられる真言宗の寺院お寺で、行基が山崎橋という対岸八幡への往来の橋を建てた際に、橋寺として創建した「山崎院」の後身と考える説があります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>歴史上しばしば登場するお寺であり、寺宝や重要文化財が多く残り、聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」を祀ることから通称「宝寺」（たからでら）の別名があり、大黒天宝寺として商売繁盛のお寺として知られています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>宝積寺は貞永元年（1232年）の火災で一度焼失し、現存する仏像等はこれ以降のものです。宝積寺は山崎の戦いでは秀吉の本陣となり、禁門の変では尊皇攘夷派の真木保臣を始めとする十七烈士らの陣地が置かれた場所です。ちなみに、お寺の途中にあるお墓には、十七烈士の碑があります。<br />
&nbsp;<br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8588.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8588.jpg" alt="" title="CIMG8588" width="550" height="413" class="aligncenter size-full wp-image-3156" /></a><br />
&nbsp;</p>
<p>代表的な文化財として、本堂の本尊の木造十一面観世音菩薩立像 像高181.8cm、天福元年（1233年）仏師法印院範、法橋院雲作があり、秀吉が一日で建てたと伝えられる三重塔があります。有料ですが寺には閻魔堂があり、木彫りの閻魔大王が拝めます。<br />
本堂左横の「小槌宮」に大黒天が祀られ、打出と小槌もこの堂に祀られています。打出と小槌で、参詣者に福徳を授けています。</p>
<p>&nbsp;<br />
<strong>重要文化財：三重塔</strong>　桜の季節も紅葉にも非常に映える塔です。<br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8587.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8587.jpg" alt="" title="CIMG8587" width="550" height="413" class="aligncenter size-full wp-image-3158" /></a></p>
<p>&nbsp;<br />
<strong>閻魔堂</strong><br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG70381.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-2186" title="CIMG7038" src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG70381.jpg" alt="" width="550" height="413" /></a><br />
&nbsp;<br />
秀吉が腰掛けたとされるの<strong>出生石</strong>があるのもこの寺です。<br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8594.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8594.jpg" alt="" title="CIMG8594" width="550" height="534" class="aligncenter size-full wp-image-3157" /></a><br />
&nbsp;<br />
お寺は、ちょうどアサヒビール山荘美術館の真横、天王山の中腹にあり、ハイキングコースの途中で立ち寄れるようになっています。かなりきつい坂道を登りますので、きっちりとした靴を履いてきたほうがよいでしょう。<br />
&nbsp;<br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8579.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8579.jpg" alt="" title="CIMG8579" width="550" height="413" class="aligncenter size-full wp-image-3159" /></a><br />
&nbsp;<br />
<strong>山門の金剛力士像</strong><br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8581.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8581.jpg" alt="" title="CIMG8581" width="550" height="413" class="aligncenter size-full wp-image-3160" /></a><br />
&nbsp;<br />
<strong>水掛不動</strong>：登山客が水をかけていきます。<br />
<a href="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8600.jpg"><img src="https://oyamazaki.info/wp/wp-content/uploads/2013/01/CIMG8600.jpg" alt="" title="CIMG8600" width="550" height="580" class="aligncenter size-full wp-image-3161" /></a><br />
&nbsp;<br />
主な重要文化財<br />
&nbsp;<br />
・三重塔<br />
・木造十一面観世音菩薩立像 -本尊、像高181.8cm、天福元年（1233年）仏師法印院範、法橋院雲作<br />
・ 木造閻魔王坐像 &#8211; 像高160.8cm<br />
・木造司命坐像 &#8211; 像高124.6cm<br />
・木造司録坐像 &#8211; 像高143.5cm<br />
・木造倶生神（ぐしょうじん）半跏像 &#8211; 像高114.2cm<br />
・木造闇黒童子半跏像 &#8211; 像高110.8cm<br />
・木造金剛力士 &#8211; 寄木造、彩色、阿形（那羅延金剛力士）像高284.2cm、吽形（密迹金剛力士）像高277.5cm<br />
・板絵着色神像</p>
<p>&nbsp;</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<th>所在地</th>
<td>〒618－0071　京都府乙訓郡大山崎町銭原1</td>
</tr>
<tr>
<th>分類</th>
<td>お寺・神社</td>
</tr>
<tr>
<th>拝観</th>
<td>自由（※閻魔堂のみ400円　（9:00～16:00））</td>
</tr>
<tr>
<th>お問合せ先</th>
<td>TEL：075-956-0047</td>
</tr>
<tr>
<th>アクセス</th>
<td>電車：JR山崎駅、阪急大山崎駅からは、天王山ハイキングコースへ向かいそれぞれ徒歩10分</td>
</tr>
<tr>
<th>地図</th>
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