蘭について

蘭は、独特の形の花を咲かせ、世界に700属以上15000種、日本に75属230種があります。鑑賞価値の高いものが多く、栽培や品種改良が進められています。他方、採取のために絶滅に瀕している種も少なくありません。

 

加賀正太郎の挑戦

その蘭に強く魅かれ、蘭の研究に没頭した人物、それが加賀正太郎です。卓越した実業家でありながら、とことんタイプの趣味人であった加賀正太郎は、若き日に訪れた欧州で、イギリス滞在中に、キュー・ガーデンなどでの蘭栽培を見学で洋蘭に出会い、強く感銘を受けたそうです。

 

日本帰国後、情熱に燃える加賀正太郎は26歳になると自ら洋蘭の栽培にとりかかりますが、あえなく失敗に終わります。蘭は日本ではまだ珍しい存在で、蘭の栽培は非常に難しく困難を極めるものだったそうです。

 

諦めない加賀正太郎は、莫大な試算を投じて大山崎山荘(現アサヒビール山崎山荘美術館)を建設すると、そこに数棟の蘭のための温室を設けます。(この辺は美術館内資料で当時の様子を見ることができます)さらに「洋蘭の神様」と呼ばれた蘭栽培の第一人者である園芸家の後藤兼吉を招き、本格的に研究を開始、その結果長年の努力の末により、洋蘭の栽培だけでなく、人工交配による新種1140種という卓越した成果を生み出しました。

 

2人のおかげで大山崎は蘭栽培のメッカとなり、日本における蘭栽培が広がりました。
現在でも、蘭の栽培は多くの人に親しまれていますが、加賀正太郎と後藤兼吉の功績が非常に大きいと言えるでしょう。

 

『蘭花譜』(らんかふ)

現在の山崎では、残念ながら蘭のメッカとして蘭栽培をみることはできません。加賀正太郎の死後は山荘は売却され、温室も荒れ果てていくことになりました。

しかし、加賀正太郎と後藤兼吉の情熱は『蘭花譜』という版画集によって後世に残されています。
栽培した蘭1,140種のうち、優良種だけを計104枚の植物画にまとめ、昭和21年(1946年)に編集・刊行した蘭の画集です。内容は84枚が浮世絵の技法を受け継ぐ木版画であり、残りの20枚は油絵の印刷と白黒写真で構成されています。

 

この10年近くかけて、製作された昭和の『蘭花譜』は、昭和21年に300部限定で刊行、100部は海外の大学・植物園に寄贈、200部は国内の研究者や好事家に市販したと記録されています。

 

版木は山荘に残っておらず、太平洋戦争時に紛失されたとなっていましたが、近年になって当時の版木12点の主版と色板一式の存在が判明し、新たに小数制作されました。詳しくはこちら
使われた紙は人間国宝である紙漉き職人、九代目岩野市兵衛に製作を依頼し、好評を得ています。

 

蘭花譜の絵はがき

さすがに版画は、ちょっと手がでないなと思われるので、代わりに大山崎町商工会青年部が作成した絵がはぎがあります。104 点の作品のうち、特に美しい作品を絵はがきになっています。

 

( 6 枚セット) 300 円 ( 8 枚セット) 400 円


 

下記施設で購入することができます。

アサヒビール大山崎山荘美術館
大山崎町歴史資料館


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